2006年 11月 07日
煙
閑谷学校から日生五味の市に回りブルーラインを走る車窓より邑久の田園を写す
昔のように稲刈り後の田んぼ焼きを見かけなくなりつつあるのは残念である。
田園風景の中に住宅が立ち並ぶようになってくると難しいのかもしれないが
あの晩秋に立つ煙の匂いが大好きな私なのである。
それは遠い昔を懐かしむのに相通じる。
寒い日の登校集合場所、近所のおじさんが焚き火をしてくれる。
学校に着くと職員室の煙突からでる石炭の匂いする煙。
そして
風呂焚、七輪に火をおこす、釜戸に火をくべる、すくもを田で燃やす、全て煙が立つ。
その後にサツマイモをはさげておく楽しみ
ほかほか湯気の立つ焼き芋を取り出すとき、くじ引きのような興奮を覚えた。
丁度いいあんばいの時、食べる部分が少なく回りは炭状態の時と
子供の私は頃合がなかなか掴めない。
電化生活にほど遠い不便な時代ではあったが、
上手く火を熾す知恵を取り入れながら、
手伝いをした懐かしい子供時代を思い出す煙の匂いでもある。
昔のように稲刈り後の田んぼ焼きを見かけなくなりつつあるのは残念である。
田園風景の中に住宅が立ち並ぶようになってくると難しいのかもしれないが
あの晩秋に立つ煙の匂いが大好きな私なのである。
それは遠い昔を懐かしむのに相通じる。
寒い日の登校集合場所、近所のおじさんが焚き火をしてくれる。
学校に着くと職員室の煙突からでる石炭の匂いする煙。
そして
風呂焚、七輪に火をおこす、釜戸に火をくべる、すくもを田で燃やす、全て煙が立つ。
その後にサツマイモをはさげておく楽しみ
ほかほか湯気の立つ焼き芋を取り出すとき、くじ引きのような興奮を覚えた。
丁度いいあんばいの時、食べる部分が少なく回りは炭状態の時と
子供の私は頃合がなかなか掴めない。
電化生活にほど遠い不便な時代ではあったが、
上手く火を熾す知恵を取り入れながら、
手伝いをした懐かしい子供時代を思い出す煙の匂いでもある。
by cyaa8989
| 2006-11-07 07:41