2011年 06月 25日
6月23日 藤戸 天城
雨だから、遅刻しそうだから、試験中だから、自転車がパンクしたからと
理由づければいくらでもあります。
我が家から10キロ、自転車通学の子供たちの送迎に扱き使われた6年間
あれから年月は流れ
藤戸寺の沙羅の花が咲いたのをきっかけに
源平・藤戸合戦ゆかりの地、藤戸天城をぶらり歩いてみました。
藤戸海峡のなごり倉敷川に架かる盛綱橋
源氏と平氏は藤戸海峡を挟んで対峙していました。
この時,源氏の武将<佐々木三郎盛綱>は厳寒の冬の海に馬を乗り入れ
平家陣に一番乗りを果たしたのです。
盛綱が馬で海を渡り先陣の功をたてるきっかけになったのは
近くの漁師に好条件を与え、その見返りに<馬でも渡れる浅瀬があり
その浅瀬のできる場所とその日時に関する情報>を得たからです。
この情報が味方の武将に漏れると
先陣の功が得られなくなることを恐れた盛綱は
自分だけの秘密の情報にしたい為、この漁師を殺してしまいました。
源氏方の佐々木盛綱が、源平両軍の戦死者と自分が刺した漁夫の供養塔として
写経とともに祀られた昔は海に浮かんでいた経ケ島です。
今はすぐ後ろには天城小学校、授業終了のチャイムの音が聞こえてきます。
by cyaa8989
| 2011-06-25 20:08