2011年 11月 09日
11月5日 愛媛県新居浜
前日の天気予報は雨、当日早朝から降りしきる雨
それでも夫は強引に予定遂行です。
瀬戸大橋を渡っています。見慣れた風景の下津井も霞んでいます。
標高750mの細い山道を、蛇行しながら走る前方のバックライトが辛うじて見えます。
視界2mスリル満点
山の状況は変化が速いです。
みるみる霧が晴れると、目に鮮やかな紅葉が視界の中に入ってきます。
長い階段を下りて行くと
ここ東洋のマチュピチュは霧の中に浮かんでいました。
近代産業の遺産
別子銅山は1691年から1973年(昭和48年)閉山まで
住友一企業により採鉱された約300年の歴史遺産です。
当時の繁栄を偲ばすレンガ群がそそりたっていますが
開坑当時は標高1300mの山中から
粗銅を背負っての銅山越えをする中持人夫や
坑夫の涙ぐましい苦労がありました。
また広瀬 宰平(初代住友総理人)
フランスの技師を招いて指導を仰ぎ近代化を達成するなどの
努力によるものです。
傘の花が咲く霧の中、当時の苦労を描き
今、置かれた生活に感謝しつつ
ボランティアガイドの説明を盗み聞きしています(*^。^*)
霧の中、何を見渡せたのかさっぱり分かりませんでしたが
晴れた日の別子銅山にもう一度訪れて見たいと思うのでした・・・・・・。
それでも夫は強引に予定遂行です。
瀬戸大橋を渡っています。見慣れた風景の下津井も霞んでいます。
標高750mの細い山道を、蛇行しながら走る前方のバックライトが辛うじて見えます。
視界2mスリル満点
山の状況は変化が速いです。
みるみる霧が晴れると、目に鮮やかな紅葉が視界の中に入ってきます。
長い階段を下りて行くと
ここ東洋のマチュピチュは霧の中に浮かんでいました。
近代産業の遺産
別子銅山は1691年から1973年(昭和48年)閉山まで
住友一企業により採鉱された約300年の歴史遺産です。
当時の繁栄を偲ばすレンガ群がそそりたっていますが
開坑当時は標高1300mの山中から
粗銅を背負っての銅山越えをする中持人夫や
坑夫の涙ぐましい苦労がありました。
また広瀬 宰平(初代住友総理人)
フランスの技師を招いて指導を仰ぎ近代化を達成するなどの
努力によるものです。
傘の花が咲く霧の中、当時の苦労を描き
今、置かれた生活に感謝しつつ
ボランティアガイドの説明を盗み聞きしています(*^。^*)
霧の中、何を見渡せたのかさっぱり分かりませんでしたが
晴れた日の別子銅山にもう一度訪れて見たいと思うのでした・・・・・・。
by cyaa8989
| 2011-11-09 11:20
| 旅